不妊治療との出会い

私は、大学卒業後すぐに山形大学病院の産婦人科で、研修医として一般的な産科や婦人科の診療を行っていました。山形大学は、卒業した昭和63年当時、体外受精を実施している数少ない医療機関の一つでした。研修医が少なかったこともあり、体外受精の手伝いを時々させていただいておりました。

当時はまだ経膣超音波の機械がようやく開発されたばかりで、体外受精の採卵は手術室で麻酔下に腹腔鏡で行っていました。その後山形県内の病院で一般産婦人科の研修を行い、再び大学病院に戻って来たときには、現在と同じように超音波下の採卵が行われており、とても驚いたことを今でも覚えています。

大学病院では不妊診療チームに所属し、採卵や移植を行っていましたが、当時は培養士という職種がまだなかったため、胚の培養も医師自らが行っていました。
この時期の様々な経験が、私の体外受精への強い思い入れにつながっていると思います。その後も勤務した病院でも、沢山の体外受精を行ってきました。
しかし、ここまではずっといわゆる高刺激での体外受精を行っていました。

体外受精の歴史

不妊治療は1978年イギリスで体外受精による治療が始まり、その後大きく治療の方向性が変わってきました。
体外受精による治療が始まる以前の不妊治療は
「如何にして体内で精子と卵子を出会わせるか」
ということが主体で考えられていました。
体外受精が始まったばかりの頃は、今のように薬剤がありませんでしたので、完全な自然排卵を利用した採卵が行われていました。
その後薬剤の開発が進み、約30年前からは自分の身体から自然に出てくるホルモン分泌を抑制し、薬剤で完全にコントロールができる排卵誘発法による体外受精が主流となっています。このような薬剤刺激周期による体外受精=調節刺激法は、それほど体外受精治療経験がない施設でも比較的簡便に実施できるため、すぐに世界中に普及していきました。その後使用薬剤は変わってはいますが、現在でもスタンダードな体外受精の排卵誘発方法として広く使用されています。

自然周期との出会い

先程お話ししたように、私自身が長きにわたり調節刺激法による体外受精に携わってきましたので、その有用性については苦言を呈する立場にはありません。
しかし、10年ほど前に東京の加藤レディスクリニックで自然周期・低刺激周期による体外受精に出会い、こんな手法で体外受精を行う事ができるのかという新鮮な驚きを経験しました。
以降は強い排卵誘発剤に頼ることなく、自分自身の排卵周期を利用した体外受精での治療に、さらに改良を加えながら実施しております。
体外受精という治療手段を得た現代の我々は
「如何に身体に負担をかけずに妊娠を可能にするか」
という命題に取り組み続ける必要性もあるのではないかと思います。

これからの体外受精

体外受精の技術革新は沢山ありますが、大きなものとしては
1.排卵誘発、 2.顕微授精、 3.胚盤胞培養、 4.ガラス化凍結
などがあります。
そして現在、グローバルには、移植前の胚の染色体の数の異常を検証し、100%流産する胚や着床できない胚を区別する手法も利用できるようになっています。
iPS細胞から精子や卵子が作られる時代もそう遠くないかもしれません。
現在、不妊治療に関連した様々な新しい技術や薬剤などが次々に話題になります。
しかし、その中で10年後、20年後も継続的に使い続けられるものは、実はほんのわずかしかありません。
私達はプロフェッショナルとして、多数の情報の中から、今後もずっと継続していく 本当に意味のある技術や手技は何かということを判断し、治療に取り入れていくことが大切だと考えています。

クリニックの想い

お子さんが欲しいのに恵まれない方々の苦悩は計り知れないことでしょう。
もちろん全ての患者様の苦悩は取り去ることはできません。
しかし、私達の持っている全ての知識や経験を総動員すればなんとか対処できることも沢山あると思います。
長い人生の中で、今は暗いトンネルの中にいる感じかもしれません。しかし一人ではありません。これからは、私達と手を取りあい、トンネルの先にある明るい光を目指して、笑顔で歩んでいきましょう。
まだ、不妊治療に踏み出す勇気の出なかった患者様が最初に選択してくれるようなそんな場所に、また、色々な施設で治療してもいい結果が出なかった患者様が最後に選択してくれるようなそんな場所になるように、日々努力することが私達の努めだと思っております。